雨後の

主に備忘録の予定.

2016年振り返りと2017

年が明けました。おめでとうございます。

急に年末年始が来た感じで3日目にして少し落ち着いたので漸く振り返ってみたりしようかと。

2016年はライフイベントとして子どもが生まれたのが最大でした。これまでプライベートと仕事とあまり区別ない感じで,仕事や仕事と関連した業務でないことなどでみっちり埋まっていたのが,本当に完全に「プライベート」(へんな表現だけど)というのを体験したのはやはり大きかった。ある意味衝撃でした。

うまれてしばらくはFBなどをみても世間と切り離されたように感じて焦っている投稿が多いけれど,今はそんな日々を大事にしなければという気分です。

 

そんなわけで振り返りもプライベートや楽器関係が多くなりました。

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イベント参加記録『学びが「生まれる場」の作り方』

12/14に開催されたイベントに参加してきました。

www.cscd.osaka-u.ac.jp

 

阪大のCSCDが「高度汎用力」の涵養をテーマに掲げたco*デザインセンターに発展的解消してから,ナレッジキャピタルで開催されているトークイベントの3回目。

池田光穂さんと,ゲストに「こどもみらい探求社」共同代表のお二人を迎えたトークで,「学ぶ」「学んでいる実感」「学ぶ場」とは何か?というテーマで進められました。司会は八木さん。

こどもみらい探求社というのは,保育士のご経験を持つ2人が,既存の保育園を飛び出して,子どもと「環境」や「社会」をつなげるためにいろんなプロジェクトを行っている団体だそうです。保育園,というのは,子どもがその時期を過ごす環境の一つに過ぎないということ,保育園はどうしても「家族」とのつながりに終始してしまうが,最終的にはそれを取り巻く「社会」とリンクしているはずで,家庭との繋がりだけでなくてダイレクトに社会や環境のなかでこどもたちのことを考えたい,というように感じました。

それって,ビジネスとして成り立っているか? とか,様々な取り組みは非常に興味深いが,そういった新しいことが「チャレンジングで面白いからやってみよう」となるか,「前例ないし上手くいくかわからないから危険」となるかは何が違うのか,とか,結構核心をついた問いが司会・ホスト側から出されました。

これらについてズバリの答えはしにくいもので,ちょっとずらしたやりとりに移っていったものの,その途中で池田さんから提示された「解放」というのが大きなキーワードだったように感じました。

既成の保育園は,家族とのみ向かい合っていて,なかなか社会そのものに直接アプローチしにくい。ならばその保育園アプローチから自らを解放して,プロジェクトを行う(イマココ)。そしてこの先,プロジェクトの過程で,保育園で実際に行われている活動や保育士の力,スキルが実はすごいポテンシャルを秘めていることが保育園の外でも評価される。それによって既存の保育園や保育士の活動も解放される,というように向かっていくのでしょう。

池田さんが問題として提起する「今の大学の閉塞感」も同じで,大学の教育過程で「身につけねばならないこと」が定義されすぎていてがんじがらめになり,現場が一見自由度が高そうなのに実はすごく狭い,ということ。これも「育つ」という定義の解放,大学を出て身につけることを自ら狭く定義しない,問い直すことが重要と示唆されました。

これ,結局仕事現場でも全く同じだなと。この組織に課せられた役割というのを自ら狭く狭く定義し,前例に従ってその範囲を忠実にこなす。事務組織ではインフラとして機能するためにこの「前例に従って範囲を忠実にこなす」ことが最低限必須とも言えます。が,そもそもの役割や意義自体が問い直されずにいられない状況に陥っている現在,自らの定義を一旦解放してやって本質的に何が求められ,やりたいか,を問い直す必要があるのだなと。

自らを狭く定義し,(誰も言ってないのに)自分のやりたいことに手枷足枷をかけてしまうと,それを他人や下の世代にも強要してしまう。そんなこと誰も強制していないのだから自分から解放しなければならないのでしょう。自分自身の反省を込めて,自分自身の範疇の中で何が本質的で何が不要か,解放できる範囲を点検した上でくさらずにやらないといけないなあと思いました。組織が潰れる前に。

 

その他のキーワード

学ぶ,とは,自分で選択しているという意識(しがらみがある中であっても)

「育つ」とはどういうことか?→「時が経つこと。時が経てば,何かと出会い続ける,いろんなことが起こる。一斉に皆が同じところを目指すわけではない」「本人にしかできないこと,選ぶこと」←そこから翻って,「えらぶことができる」「選択肢がある」状況が常に用意されている必要があるのだろうと思った。

保育士の仕事はファシリテーション。いろんな関係性の中でコミュニケーションを作っていけるし,それが子どもの将来や可能性につながっていく,素晴らしいスキル。

教員などが「先生」と呼ばれることについて:「呼ばれて嬉しがっている場合ではない」その一方で,「専門職=プロであることを示す呼称であることへの厳しい自覚」

イリッチの言葉「想像的失業の権利」←ちょっと調べて(読んで)みようと思う。

 

盛りだくさんでなかなか楽しかったです。質疑の時間がほとんどなかったくらい。漠然とした理想の話もあったので突っ込みにくいところがあったかもしれません。

池田さんの最初の自己紹介で,今は「ジャンキーの社会的包摂 social inclusion 」を研究しているという話がめちゃ面白かったです。

 

あと,ナレッジキャピタル,初めて行った。

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読むことと感想を伝えること

気づけば育休期間(予定)が半分を越え,正直何もしていない.

本を読もう,話はそれからだ,ということで1冊の本に取り掛かり始めている.

これまで,友人知人から様々な研究の成果や抜刷りやご著書を頂戴するたびに、すごいなあと思い,これだけの成果物に対して感想を言うならしっかり読んでそれこそなにがしかの視座をもったことをお返ししないと申し訳ない,と感じていて,その気負いというか引け目というかが却って感想やお礼をお伝えするタイミングを逸してしまう,ということが常であった.それではただの礼儀知らずだし,そもそも本職?でものしている方に専門でないものがいっぱしのことなど言えるわけではないし,友人知人が様々な分野で取り組んでいるから門外漢でもその知見にあずかることができるわけで,力を抜いて拝読し,たとえ的外れでも感想を「気軽に」お伝えできるようになりたいな,なれればいいな,と思う.

著者の人は研究執筆対象を愛している.当たり前だけど.その愛情豊かな言葉をご本人から直接聞くことができるのは,門外漢でもやっぱり嬉しい,傲慢かもしれないけど.