雨後の

主に備忘録の予定.

メモ

 

Peer Review Week 2023 25-29 Sep.
https://peerreviewweek.wordpress.com/
"Peer review and the future of publishing."
出版社による運営グループ。2023はPLOSとCUCTUSのひとが共同で委員長。

 

COPE Publication Integrity Week 2-6 Oct.
https://publicationethics.org/events/cope-seminar-2023

 

International Open Access Week 23-29 Oct.
SPARCから始まり世界の賛同する団体が参加
https://www.openaccessweek.org/theme

 

 

読書メモ『アウシュヴィッツ潜入記 収容者番号 4859』

 みすず書房のこの本を読んだ。

 

著者のピレツキが1945年に自身の上官に宛てて提出した報告書。

著者本人がその後,同胞であるポーランド共産主義政権に逮捕されて1948年に処刑されたため,この報告書も長い間眠っていたという。

英訳は2012年。本書はその邦訳となる。

冒頭に,英訳者による解説,当時の状況,著者ピレツキの生涯,翻訳ノートなどが50余ページ。本報告書の状況を理解するための大きな助けとなった。

 

ピレツキは,ドイツの侵攻を受けるポーランドで地下軍事組織に所属し,その命でアウシュヴィッツ収容所に潜入し,収容所内部の状況を組織に伝えること,収容者の同胞を勇気づけること,内部からの武力蜂起などの任務を負った。

アウシュヴィッツは1940年に設置されたときは,ポーランド政治犯を取り締まるための収容所だった。1940年9月にピレツキが収容されたときには,先の収容者による気まぐれで残忍な管理下に置かれており,その様子も具体的に記述されている。

それが次第に,ソ連兵の収容施設と性格を変え,そのソ連兵を大量処分する必要が生じ,大量処分のためのガス室が整備され,そのままユダヤ人の収容所となっていったことを辿ることができる。

 

最初は無法状態で,家族等からの差し入れ荷物も年1回のクリスマスのみ,しかも食糧不可。

技能を持つものは屋内で労働に従事することができ,それ以外はほぼ口減らしのためにきつい屋外作業にさらされていたこと。

死の碾臼が毎日確実に回ってわれわれを挽いていくという表現。大量処分に伴って火葬場が設置され,それまで土にいい加減に埋められていた遺体を(証拠隠滅のために)掘り起こして焼きまくった記述。「2か月半にわたって燃え続けた」。

ユダヤ人たちを集めるため,先に収容されていたユダヤ人たちを良い環境の労務に就かせ,家族や知人に宛てて「自分は元気でやっている」「待遇は悪くない」と手紙を書かせ,しかもアウシュヴィッツに来る場合は身の回りの品を持ち込むことを許可し,実際にユダヤ人たちが全財産を金やダイヤモンドに変えて携え,豊かな食料も十分に持ってやってきたこと。

当初から収容されていたポーランド人の中で生き永らえたものは,アウシュヴィッツ収容所の性格の変遷,ユダヤ人たちの所持品とともに,住環境が改善されていくという皮肉。

「効率的に」処分を行うために施設・設備が整えられた結果,管理者による気まぐれで残忍な殺戮や刑罰などが減り,脱走者の家族を見せしめに罰することも禁止されていったこと。

過去の管理者による非道で無法なふるまいを外に漏らさないため,SS(ナチス・ドイツ親衛隊)がその管理者を収容者たちによってリンチすることを許す場面。

いつ自分が死ぬかわからない,それも規則性もなく,という状況下で,信頼する同胞に接触し,辛い目に遭っている同胞を助け,たゆまぬ信仰と信念によって内部組織を徐々に育て上げていたのに,ボスである地下組織が一向に収容所の外からの攻撃も行わず,一斉蜂起の指令を送ってこないばかりか,後期に収容されたり接触したりした同志から「まだアウシュヴィッツの中からの武力蜂起を試みることができる状態を保てていたとは知らなかった」と聞かされる落胆。

2年7か月をアウシュヴィッツの中で生き延びたピレツキは,業を煮やし,1943年4月に脱出を敢行する。

 

脱出後,外の世界の自然の美しさの描写,

その一方で,外の世界にいる人間たちを「子どものようだ」と述懐するくだりが静かに心を打つ。

 

 

ポーランドといえば,平野敬一郎『葬送』を読んだ時に

パリの華やかさとは全く異なる,ショパンが生まれ故郷として持っているポーランドの暗さ,圧制下にある鬱屈したものを感じていた。

大国ロシア・ソ連プロイセン・ドイツの間に挟まれ,翻弄されてきたポーランドの歴史を本書からも感じた。

第2次世界大戦後にソ連の傘下となり,共産主義系となったポーランド政府が,「祖国ポーランド」のために全魂を捧げて屈しなかったピレツキを西側のスパイとして捕らえ,拷問の末見せしめ裁判にかけ,死刑に処したことは,大きな皮肉である。

 

本報告書は2012年の英訳の段階で,タイプライターで章立てもなく作成されたドイツ語混じりのポーランド語の原書に対して多くの歴史的事実を検証し,地下組織に所属していた人物を同定し,多大な注を加え,当時の状況をつぶさに報告する資料として立ち上げることに成功している。日本語訳は2020年に出版された。

 

完全なる余談だが,

ピレツキがアウシュヴィッツに潜入したのは1940年9月19日。

しかし邦訳者によるあとがきの部分でその日付が「1939年」となっている。

あとがきでは続けて当時の簡単な出来事を年表形式で記述した上「独ソ不可侵条約からドイツのポーランド侵攻,第二次大戦勃発に至った時期に,ピレツキはアウシュヴィッツに潜入した」とあるので,誤植ではなく,邦訳者本人?の何らかの勘違いと思われる。

独ソ不可侵条約ならびにドイツのポーランド侵攻は1939年,アウシュヴィッツ収容所は1940年5月に開所)

私が読んだのは2020年11月の3刷なので,その後修正されているかもしれない。

 

 

読書メモ『歴史がおわるまえに』

 

 

歴史がおわるまえに

歴史がおわるまえに

 

 

もともと学部時代に歴史をやっていたこともあって

過去におきたこととその意味,というのを考え,

それを現在の自分の拠って立つバックボーンにする

という思考の立ち位置にずっといたと自分では思っている。

 

その一方で

いわゆる教養的なもの,

様々な「テキスト」を底本にした古典,哲学,公共的なものへの「共通理解」というものが存在し,

それになるべく寄せていき,共通の基盤を築いていく

ということがひとつの「理想像」であると思われるのに,

 

なんでそういった人間は常に少数派なのか?

 

なんで,タレント知事ばかり当選するのか?(ちょっと語弊があるけど)

とーるちゃんみたいなのが大人気になるのか?

「あんた,出始めの頃はへたくそやったけど,だいぶしゃべりもうまなったなあ」という評価で,市長選に立候補した元知事が票を獲得するのか?

 

それらがぼんやりとした疑問だった。

 

そんなぼんやりしたまま「歴史の意味を信じる」私に,この本の帯

 

「歴史は

「私たちの進路」を

もう照らさない。」

 

は,かなりの衝撃だった。

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