雨後の

主に備忘録の予定.

コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)への勝手なエール

越境する力(教養):これからの大学における高度教養教育の可能性と課題(コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)10周年記念ラウンドテーブル)」にお邪魔してきた。

コミュニケーション・デザイン・センター(CSCD)は2005年,鷲田総長のときにつくられ,文字通り「コミュニケーション」をテーマとし,実践や臨床の場を通じて,対話の形成ということがどのように行われるか,どのように行っていくべきか,に取り組んでいるセンターである。

CSCDのウェブサイトによると,専門やある程度の自らの文脈をもつもの同士がその立場等の違いを越えて「協働」する力,の重要性は現代社会において非常に高くなっている。教育・研究の場においてそれらを養うことを「高度教養教育」と名付けて取り組む組織は各大学でも最近急増しているが,CSCDはそれらに先鞭をつける形で立ち上がった,のだという。

 ラウンドテーブルは,第一部にお二方からの基調講演,第二部はCSCDのスタッフや卒業生による,第三部ではさらにフロアからの意見も交えたディスカッションという構成であった。

 
第一部

一番目の基調講演は,高度教養教育において学生のどのような力を涵養していくべきか,という,全学教育推進機構長からのお話*1。35年の教育のご経験の中で,学生の「仕組みや理論を考える力」が「昔と比べて」落ちてきたと感じることを指摘し,根本的な仕組みや判断力を養い,新たな発想による新たな価値を創造できる人材を育てたいとのこと。

二番目は,教育学習支援センター副センター長からのお話。主にFDと絡めて,「教養」教育をどのような手法で効率よく行い,評価するか,という観点から,CSCDの10年間の実践を分析しようという趣旨が前半*2。一方で,学部や分野による様々な慣習や認識の違い(「Academic Tribes」)を文脈として多少なりとも汲まなければ,学習者は意欲を持って取り組まない,全ての学問分野に共通して行える学習,といったものはもはや存在しない,という指摘が印象に残った。

 

第二部・第三部

CSCDの教員,研究者,卒業生によるラウンドテーブルでは,それぞれの興味関心の所在と,CSCDで行ってきた取組が中心に話され,第一部での問題提起である「教養教育とはなにか,高度教養教育で何を行っていくのか」「専門性と教養教育・共通教育とのかかわり」「CSCDの評価」(その取り組みはCSCDでなければできなかったことか*3)などが様々に話された。

司会の方が最後にまとめられた本日の話題は,

  • 様々な異質がぶつかりあう「場」が必要であり,それは大学の内外に,あちこちに,あらゆる機会をとらえて設けられているべき
  • (本日はあまり議論できなかったが)専門性との相乗効果,教養教育がそれぞれの専門性にどのような効果をもたらすか,それぞれの専門分野の教員,研究者と共同で作り上げる必要がある
  • 評価は,できるものとできないものがあり,できないものをどう表現して自ら用いるか,自ら評価指標を作れるか,がCSCDの鍵ではないか

という3点であった。

 

感想など

コミュニケーションや対話を(教育として)考えるときに,その内容と親和性の高い学部(分野)はどこだろうかという問いがディスカッションの中であった。「Academic Tribes」を踏まえた上での「高度教養教育」の実践,導入を念頭に置いたと思われる。この問いに関しては具体的な議論には発展しなかったが,最も取り組みやすい(というかすでに取り組まれている)のは医学教育における臨床の場面ではないかと思う。下田先生(全学教育推進機構長)の基調講演でも少し触れられていたが,医学教育は10年以上前から,「統合的な医学,医療」人を育成する目的で,細分化された専門知識を学ぶだけではない,臨床的に患者の状態を相対的に診て判断するための様々なカリキュラム改訂や国家試験の変革が行われてきた*4。医療の臨床の場では立場を異にするものがある程度同一の目的のもとに集う。医学知識に基づく医療行為と,各人の当事者としての語り,身体性といった内容は極めて親和性が高い*5

 

コミュニケーションや対話は,当事者にならなければ真剣に,互いの立場や領域を越えてまで行うことが難しい。その当事者性にどのように気づかせるか,当事者としての立場を与えるか,というところを意識的にやりすぎると,なんだかわからなくなってしまう。
CSCDは,当初のもくろみ通り,様々な人がやってくる真剣な「遊びの場」であったらいいのにというのを強く感じた。そこで行われていることをあるままに記録し,その一部なりを「高度教養教育」の文脈で語ることは可能だが,「高度教養教育」の枠組みと具体の内容が先にあって,そこにCSCDの活動を当てはめるのは窮屈な感じがした。
一方で,大学の予算削減や様々な方針,縛りは大きく,この10年と同じことをやり続けることはあまりにも逆風で,厳しいように見える。

ただ,たとえば基調講演のお二方のお話や高校での実践例は,教育学では随分前から繰り返し語られている内容とかなり重なるような気がする*6。従来の教育学の手法や文脈に依り当てはめるのではなく,そこを軽やかに飛び越えて,様々な「臨床」の現場を作りだし,そこから発生するものをうまく「成果」として発信することがこの先益々重要になってくるのではないか。

学問分野の領域横断的な活動,蛸壺化しないための学術研究教育活動,に真剣に取り組まないと,細分化された先と別の先がつながっていることにも気がつかない。

 

あまり図書館と関係ない記事になってしまったが,息苦しさを打開するための何かのメモとして。

 


10周年の素敵な記念の冊子をいただいた*7

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*1:お話によると,阪大でもH29年度から全学教育推進機構のカリキュラムとして高度教養教育という授業を始めるらしい。不勉強のため,この授業とCSCDとの関連は,いまいちよくわからなかった。CSCDのセンターとしての意義は,高度教養教育だけに収斂されるものではないように感じるが…

*2:だが,CSCDの様々な活動がこのようなパターンにどうにも当てはまらず,また,分析対象となるテキストもそれほど見つけることができなかったので,評価不能という結論になっていた。当然の帰結かと思う。

*3:CSCDのプロジェクトにおいて,立場の異なるもの同士が同じ場所に集い,ひとつの目的に向かった作業を通じて無理やりにでもコミュニケーションや対話を行うという経験が役立ち,貴重だったと語る卒業生があり,大学内外の関わりを通じて異質なものが立ち会う場の形成を行っていきたいと語る教員があり,それに対して,発せられた問い。

*4:現時点で成功しているかどうかはまた別の話だが,その初期に医学教育に身近に接していた医学図書館員の個人的な経験としては優れた実践事例を多く見た。

*5:CSCDの研究テーマ群にも「臨床コミュニケーション」が挙げられている。

www.cscd.osaka-u.ac.jp

*6:現に,2月の日本図書館研究会研究大会でのシンポジウム「学びの変化と図書館」でも似たような経験や取組の話を聞いたばかりである

*7:内容は主に,CSCDウェブサイトのインタビューやCSCDの紀要「Communication-Design」(通称オレンジブック。阪大のリポジトリOUKAにも収録←)掲載記事の抜粋や,センターの沿革など。