雨後の

主に備忘録の予定.

『学生を戦地へ送るには』佐藤優


図書館で借りていたのをようやく読んだ。

毎日新聞の書評にあったのがきっかけ。


著者による,田辺元の『歴史的現実』を参加者と読んだ合宿の記録。

といっても,著者が一方的にテキストを解説するもので,批判的に読み合うものではない。

著者によると,怪しげなレトリックを含むイデオロギーに簡単に騙されないための思想的ワクチンが,今こそ必要であり,そのために『歴史的現実』がテキストとして相応しいという。


浅学にして田辺元の位置付けも著者の佐藤優のことも知らずに読んだ。

ので,著者の田辺に対する評価が適切なのかはわからない。

即ち,私の読み方は著者の意図には沿っていないと思われる。


本書には,テキスト原文と,著者の講義の話し言葉がそのまま,交互に出てくる。

田辺の原文は錆びた私の頭には入ってくるようで全く入って来ず,読み進めるのに苦労した。


著者は,テキストの主張が最終的に「よく生きるためには,よく死ぬことだ,死をもって死を超越し,かつ国家を良い方向に導くものになれ」と結論づけており,そのレトリックに導かれて多くの若者が喜んで死に向かっていった,という。


最後まで読んで,

『歴史的現実』の主眼は,「死をもって死を超越しろ」という部分よりも,もう少し手前の,大東亜共栄圏の「建設」のためのイデオロギーなのではないかという気がした。

「種族」の中にとどまらず,「人類」としての役割を果たせるのは君たちエリート層であり,その役割のひとつは即ち現在の「国家」を超える上の枠組みとしての「盟協体」=大東亜共栄圏の「建設」にある。という呼びかけ。

それはやはり聞くものに魅力的に響いたのではないか。


(ちなみに「」内の単語は田辺のテキストによるが,見慣れた単語のように見えて独自?の概念を伴っており,そのことを頭に留めておかないとまたややこしいことになる。

上述の文章もだいぶ概念を端折っていて厳密には正確ではない)


勿論,具体的に取るべき行為が最終的に「死ぬことで死を超越するその行為こそがあるべき道を実現する」との理屈に引っ張られることには違いないのだろうけど,その前に膨大なわりと緻密なイデオロギーがあるからこそ引き込まれるのだろう。


なお本書のもとになった合宿では,『歴史的現実』が1939年に京大で行われた講義の翌年の出版であることと並べて,1943年の国策映画『敵機空襲』に描かれた庶民のまだのんびりした状況を紹介している。この点,文春オンラインの本書への評は,納得がいった。

http://bunshun.jp/articles/-/4221?page=1


正直,田辺の哲学史における位置付けや時代背景,田辺自身の他のテキスト,『歴史的現実』に対する様々な評価,を読まずにこの本だけ読んでも何も言えないのだけど。

一応苦労して読んだので記録。


なおこの「合宿」は「あの戦争と国家」と題して行われており,田辺元のテキストと『敵機空襲』の他に,柄谷行人の『帝国の構造』から「第7章 亜周辺としての日本」を扱っている。本書は合宿の全記録なので,この部分も含まれている。この部分はある意味私にはわかりやすかった。


本書のタイトルから,田辺元を読み解くものと思っていたが(勿論そこが最重要視されてはいる)もう少し柄谷氏のテキスト部分のボリュームがあると全体構造が明確になる気はした。